「親戚に言われて初めて知ったんです。主人の実家は『お東(大谷派)』だったのに、私たちは『お西(本願寺派)』で葬儀をしてしまった。法名も、お焼香の仕方も、全部違っていたなんて……。私は、あんなに優しかった主人を裏切ってしまったのでしょうか? 違う切符を持たせて、主人は浄土へ辿り着けるのでしょうか?」
知恵袋や相談窓口に寄せられる、この悲痛な叫び。この記事は、そんな後悔の淵に立たされたお母様、そしてそのお母様を支えたいと願うご家族のために書きました。
浄土真宗 西 本願寺 東 本願寺 宗派 間違い 葬儀

Q] 浄土真宗で「西(本願寺派)」と「東(大谷派)」を間違えて葬儀を行った場合、どうすれば良いですか?



A] 浄土真宗において、西と東の宗派を間違えて葬儀を営んでも、阿弥陀如来による救いに一切の差異はありません。 阿弥陀如来は「南無阿弥陀仏」と念仏する者を一人残らず救う(摂取不捨)と誓われており、儀礼の形式の違いで救いを分けることはありません。実務的な解決策としては、「四十九日法要」を機に本来の宗派の寺院へ相談し、法名の書き換え(帰敬式)や仏具の調整を行うことが、残されたご家族の心の平穏を取り戻す最短ルートとなります。
【結論】葬儀で宗派を間違えても「救い」に差はありません
まず、最も大切なことを申し上げます。お父様は、決して迷子にはなっていません。
浄土真宗の教えの根幹は「他力本願」です。これは「私たちの行い(正しい作法や完璧な葬儀)」によって救われるのではなく、「阿弥陀様が、必ず救うと決めている」という、向こう側からの100%の慈悲によって救われるという意味です。
西(本願寺派)のお経も、東(大谷派)のお経も、指し示している光は同じ「南無阿弥陀仏」です。お父様が浄土へ向かう船に乗る際、西の切符か東の切符かという「形式」を阿弥陀様が検札することなど、万に一つもございません。お母様が流したあの日の涙と、お父様を想い合わせた掌(てのひら)こそが、何よりも尊い真実なのです。
西本願寺(本願寺派)と東本願寺(大谷派)の決定的な違いと共通点
「西」と「東」、何がそんなに違うのか。なぜ親戚はあんなに騒ぐのか。その実態を整理しましょう。
| 項目 | 浄土真宗本願寺派(西) | 真宗大谷派(東) |
|---|---|---|
| 本山 | 西本願寺(京都) | 東本願寺(京都) |
| ご本尊 | 阿弥陀如来(後光が8本) | 阿弥陀如来(後光が6本) |
| 法名 | 「釈 〇〇」(2文字) | 「釈 〇〇」(2文字)※位は同じ |
| 焼香 | 押し頂かず、1回 | 押し頂かず、2回 |
| 線香 | 横に寝かせる | 横に寝かせる |
| お経の節 | 比較的緩やか | 比較的抑揚が強い |
一見、細かい違いがありますが、どちらも「親鸞聖人」を宗祖とし、「阿弥陀如来」を唯一のご本尊とする点は全く同じです。お母様が「間違えた」と感じているのは、この「作法の表面」に過ぎません。
なぜ「間違い」が起きたのか?葬儀社とのコミュニケーションの陥穽(かんせい)
この間違いは、決して誠実さを欠いたから起きたのではありません。近年、特に都市部では「自分の家がどっちの浄土真宗か知らない」という方が急増しています。
- 葬儀社の確認不足: 「浄土真宗です」と伝えた際、葬儀社が「お西ですか、お東ですか?」と深く掘り下げず、提携している寺院(お西であることが多い)を機械的に手配してしまったケース。
- お父様の沈黙: お父様が生前、特定の寺院との付き合い(菩提寺)について話していなかった場合、家族に判断材料がないのは当然です。
- 「浄土真宗」という大きなくくり: どちらも「南無阿弥陀仏」を唱えるため、葬儀当日の儀礼に違和感を持てなかったのは、お母様がそれだけお父様のお顔に集中し、真摯に向き合っていた証拠でもあります。
読者の懸念に対する回答:
「でも、間違った法名のままでは、お父様が他人の名前で呼ばれているようで申し訳ない……」
法名(ほうみょう)とは、仏弟子としての名前です。確かに「お東」には「お東」の、授与の伝統があります。しかし、法名は「記号」ではなく「阿弥陀様の元へ帰った証」です。もし心が痛むのであれば、四十九日までに「お東」の法名を改めて授かれば良いのです。それは「間違いを消す」作業ではなく、お父様の本来の居場所を再確認する「丁寧な里帰り」だと考えてください。


親戚に言われた「宗派が違う」葬儀は夫への裏切りか?
親戚の方の一言は、お母様の心を深く抉ったことでしょう。「何てことをしたんだ」「お父さんが浮かばれないぞ」。そんな言葉を投げつけられたお母様は、まるでお父様との大切な思い出まで否定されたような、暗い孤独の中にいらっしゃいます。
お父様は迷子にならない。阿弥陀如来の「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」の教え
お母様にこう伝えてあげてください。
「お父さんはね、今、光の中にいらっしゃいますよ。西だ、東だ、という小さな人間の揉め事を、雲の上でニコニコしながら見ていますよ」と。
阿弥陀様の救いは「摂取不捨」といいます。「摂(おさ)め取って、決して捨てない」という意味です。人間がどんなに不手際をしても、どんなに無知であっても、一度「救う」と決めた相手を、阿弥陀様が形式の不備で放り出すことは絶対にありません。葬儀の作法を間違えたことで、お父様への愛が揺らぐことなどありません。それは「裏切り」などではなく、最期までお父様を必死に送ろうとした「愛の懸命な姿」そのものです。
遺言がなかったのは「お前たちの思う通りでいい」という究極の愛
もしお父様が、自分の葬儀の形式に強いこだわりを持っていたなら、きっと何らかの形で書き残していたはずです。それをしなかったのは、「自分がいなくなった後、残された家族がやりやすいように、好きなようにしてくれたらそれでいい」という、お父様の深い包容力、つまり「自由」という名の遺言だったのではないでしょうか。
形式の檻に閉じ込められ、お母様が自分を責めることを、お父様が一番望んでいないはずです。「その人らしさ」とは、型にはまることではなく、家族を温かく見守るその優しい眼差しにあったはずです。
親戚の言葉を「故人を想う心の表れ」と受け流すための心の持ち方
親戚の方々が厳しいことを言うのは、それだけお父様、そしてその「家」を大切に想ってきたからです。彼らにとっての正義は「伝統を守ること」であり、お母様を責めることが目的ではありません。
「教えてくださって、本当にありがとうございます。お父さんの実家のことを大切に思ってくださっているんですね。そのお気持ち、お父さんもきっと喜んでいます。四十九日には、ちゃんと本来の形に整えますね」
そう一言返すだけで、波立った空気は静まります。親戚の言葉を「攻撃」として受け取るのではなく、お父様への「お供え物」だと思って、そっと脇に置いておきましょう。
読者の懸念に対する回答:
「親戚に、お父さんの顔に泥を塗ったと言われました。もう顔向けができません」
泥など、どこにも付いていません。お父様の顔を汚せるのは、形式の間違いではなく、遺された家族が憎しみ合ったり、自分を責め続けたりすることだけです。お母様が「ごめんなさい」ではなく「ありがとう、お父さん」と笑顔で手を合わせる姿こそが、お父様にとって最高の供養であり、親戚への何よりの返答になります。


伝統や形式は、私たちが迷わないための「目印」であって、故人を縛る「鎖」ではありません。阿弥陀様はラベルを見て救うのではありません。お母様のその震える掌の中にある、純粋な祈りだけを見ておられます。
法名の取り直し手順と四十九日での宗派変更(実務と解決)



[Q] 葬儀で頂いた法名が違う宗派のものだった場合、どうやって「正しい形」に戻せば良いのでしょうか?



本来の宗派(ご実家が守ってきた宗派)の菩提寺、あるいは近隣の同宗派寺院へ相談し、「帰敬式(ききょうしき)」を通じて法名を再授与していただくのが正当な手順です。 四十九日法要は、故人が新しい世界へ旅立つ大切な節目。この日までに「お東(大谷派)」の法名として書き換えていただくことで、お母様の心のわだかまりを解消し、お父様の本来の立ち位置を整えることができます。
まず、お母様が一人で抱え込まず、ご実家が代々お世話になってきたお寺(菩提寺)へ正直にお話しすることから始めましょう。
もし菩提寺が遠方であったり、お付き合いが途絶えていたりする場合は、お住まいの近くにある「真宗大谷派(お東)」のお寺を探します。
「葬儀の際、こちらの不手際で宗派を間違えて手配してしまいました。お父さんを、本来あるべきお東の形でお守りしたいのです」
この言葉に、怒るお坊さんはいません。むしろ、家族の深い反省と故人への想いに、慈悲の心で応えてくださるはずです。
浄土真宗において法名を授かる儀式を「帰敬式」と呼びます。通常は生前に受けるものですが、亡くなった後に葬儀の際、枕経と共に授かることも一般的です。
今回のように、一度「お西」で頂いた法名を「お東」へ戻す場合、改めてお東の形式(「釈 〇〇」という2文字の法名)を授与していただきます。
- 費用(お布施)の目安: 寺院によって異なりますが、一般的には3万円〜5万円程度が目安とされます。
- 法名軸の作成: お東では、位牌ではなく「法名軸(ほうみょうじく)」を仏壇の側面に掛けるのが正式な作法です。法名を書き換える際、同時にお寺へ依頼しましょう。
四十九日は、お母様にとって「区切り」の儀式です。ここで形式を整えることで、これまでの後悔にピリオドを打ちます。
- 葬儀でお世話になった「お西」のお寺への配慮: 「親戚との話し合いにより、今後は実家の宗派で供養することになりました」と、丁寧にお礼と共にお伝えすれば角は立ちません。
- 納骨の相談: もしお墓がお東の寺院にある場合は、法名の書き換えが済んでいなければ納骨できないケースもあります。早めの相談が肝心です。
仏壇・仏具の買い替えは必要?「その人らしさ」を大切にする選定基準
すべてを一度に買い替える必要はありません。
- 優先すべきは「ご本尊」: 仏壇の中央にいらっしゃる阿弥陀如来様の絵像(掛け軸)を、お東のもの(後光が6本のもの)に替える。これだけで、そこはお東の聖域になります。
- 「その人らしさ」を彩る: お父様が愛した花、好きだったお菓子。それらを供える心があれば、仏具が少しずつ混ざっていても、阿弥陀様は微笑んでくださいます。
読者の懸念に対する回答:
「一度つけた名前を変えるなんて、お父さんに失礼ではないでしょうか?」
法名は「仏様の世界での名前」です。お父様がご実家のご先祖様と同じ場所に座るためには、同じ「お東」の法名を頂くことが、お父様にとっても一番の安心材料になります。これは「変更」ではなく、本来の場所への「帰還」なのです。


魂の実録体験記:青い空へと帰る日
あれは、父が急逝してから二週間が過ぎた、重苦しい午後のことでした。
「どうして、お東なのに、お西で葬儀をしたの!?」
親戚の伯父の声が、静まり返ったリビングに響きました。母の手から、お茶菓子がこぼれ落ちました。葬儀の疲れで痩せ細った母の肩が、目に見えて震え始めました。
「ごめんなさい……よく分からなくて、葬儀屋さんに言われるままに……」
母は、まるで重大な犯罪でも犯したかのように、床に伏して泣き崩れました。それからの母は、毎日仏壇の前で「お父さん、ごめんなさい」「私が間違えたせいで、あなたは迷子になってしまった」と、自分を責め続ける日々を送りました。父を想って合わせる手が、恐怖と後悔で震えている。その光景を見るのが、娘の私にとっては何よりも辛いことでした。
私は思いました。「父は、こんな風に母が泣くことを望んでいるだろうか?」
生前の父は、何でも「いいよ、いいよ」と笑って許してくれる、青空のような人でした。
私はある日、近所の真宗大谷派(お東)のお寺を訪ねました。住職は私の話を静かに聞き、こうおっしゃいました。
「お母様に伝えてあげてください。阿弥陀様は、西本願寺という窓口でも、東本願寺という窓口でも、同じ慈悲の光で待っておられます。お父様は今、その光の中にいらっしゃる。何も間違ってなどいませんよ」
その言葉を母に伝えたとき、母の瞳に久しぶりに光が宿りました。
「お父さんは、迷子になっていないの……?」
私たちは四十九日の法要に合わせて、住職に「帰敬式」をお願いしました。
新しい、お東の法名を頂いた日。母は、書き直された法名軸を愛おしそうに撫でながら、初めて「ありがとう」と呟きました。「ごめんなさい」という呪縛から、母が解き放たれた瞬間でした。
法要の帰り道、ふと見上げた空は、驚くほど透き通った青でした。
「お父さん、自由になったね」
母が隣で、小さく微笑みました。
形式は、父と私たちを繋ぐための「言葉」に過ぎなかったのだと気づきました。お父様が遺してくれたのは、宗派という看板ではなく、家族が手を取り合って生きていくための、大きな愛だったのです。
涙で曇った目で見れば、形式の違いは高い壁に見えます。けれど、愛の目で見れば、それはお父様へと続く階段の一部。一歩ずつ、お母様のペースで登ればいいのです。頂上で待つお父様は、必ずその手を引いてくれます。
具体的なアクションプラン:今日からできる3ステップ
- お父様のルーツを確認する(本日)
ご実家の古い過去帳や、お墓にある墓石の刻銘を確認し、「真宗大谷派(お東)」であることを確定させます。 - 「お東」の寺院へ電話をする(3日以内)
「宗派を間違えて葬儀をしてしまったが、四十九日からはお東でお願いしたい」と正直に伝えます。 - 仏壇の「ご本尊」を整える(四十九日まで)
お東の阿弥陀如来様の掛け軸を準備します。目に見える形を整えることで、心は劇的に安定します。
結びに:読者が画面を閉じた後に安心できる「心の栞(しおり)」
葬儀での「間違い」は、お父様への裏切りではありません。それは、突然の別れに直面したあなたが、いかに必死にお父様を想い、送り出そうとしたかという「愛の混乱」の証です。
阿弥陀如来は、あなたのその混乱さえも丸ごと包み込んでくださいます。お父様は今、西や東という境界線のない、自由で穏やかな光の国で、あなたの幸せを心から願っています。
どうぞ、自分を許してあげてください。
あなたが笑顔で「南無阿弥陀仏」と唱えるとき、お父様はあなたのすぐ隣で、同じように微笑んでいるのですから。











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